これまた昨年の話となります。
お盆である2023年8月15日に、炎天下の国道3号線をひたすら南下し鹿児島県出水市まで至ったサイクリングを、記事に纏めました。
熊本市を中心として九州をあちこちサイクリングに行ってますが、これまで鹿児島県のみ足を踏み入れておりません。
ならば行ってみるか、という実に単純な理由から選んだルートとなります。
熊本市から鹿児島に向かう際には避けて通れないであろう八代市へとまず向かいます。
毎度おなじみの球磨川。
例によって川幅がおかしいですねw
さて、以前芦北町田浦まで走った時と同様、球磨川を渡ってひたすらに国道3号線を南下していきます。
先日、またまたサイクリングしてきました。今年はコロナ禍の影響もあり自転車に乗る機会が例年と比較すると少なく、とにかく距離が稼げていません。こりゃいかんということで、とにかく平地を走って短い時間で距離を稼ごう……と思い、まだ行ったことのなかった芦北町田浦を目的地に設定しました。平均時速30km/h以上をキープしたまま、とにかく国道3号線を南下しまくります。八代市に入り、球磨川沿いに達したところでちょいと休憩をはさみました。先の水害では、ここらへんも水面がぎりぎりまで上がってきていたのが映像からも見て取れ... 赤松トンネルを超えて ... 御立岬回遊 - う゛ぇろ☆いじり |
前回同様、日奈久温泉で休憩をはさみまして、三太郎峠の先鋒、赤松太郎峠を目指します。
とにもかくにも、30度を超えた真夏日です。
赤松太郎峠自体は緩やかな峠道ですが、それでもこの暑さには参りました。
峠を越えた先まで行けば、芦北町田浦。
放課後ていぼう日誌の舞台でもありまして、道の駅にはこのようなパネルが常設されています。
田浦の風景はご覧の通り。
概ね原作通りのロケーションなのではないでしょうかw
田浦を超えれば、三太郎峠の次鋒、佐敷太郎峠に差し掛かります。
が、佐敷トンネルに当時工事が入っていたこともあり、少し直進するのに抵抗がありました。
なので、有明海の沿岸部を走る県道56号線を迂回する形をこの日は取りました。
結果的に、佐敷太郎峠は攻略できなかったということになりますが……まぁしょうがないですね(;^ω^)
厳密にいうなら、三太郎峠を完全攻略するためには、旧道を走ってなんぼでしょうけどね……ただ、廃道になってる所もあるのでどちらにしても実走そのものが困難かもですが……。
再び国道3号線と合流し、三太郎峠の殿、津奈木太郎峠を攻略です。
ここを乗り越えれば鹿児島県は目の前です。
流石にこの時点で気温は35度前後、炎天下にも程があるコンディションでさすがにへこたれました。
峠自体もこの津奈木太郎峠が一番と言っていいほどしんどく、先に進むにしても休み休みの移動になってしまいました。
道中、亀萬酒造の前を通り過ぎます。
日本最南端の酒蔵で、記憶にある限りでは結構甘めで薫り高お酒を提供されていた気がします。(普段お酒はあまり飲まないので記憶だけですすいません💦)
津奈木太郎峠を越えれば、熊本県と鹿児島県の県境に位置する熊本県水俣市に到着です。
そして、水俣病の原因となった有機水銀がかつて堆積していた水俣湾を浚渫したのち、埋め立てて造られた施設、エコパーク水俣で改めて休憩です。
まずは腹ごしらえをば。
敷地内にレストラン「たけんこ」があったので入ってみることにしました。
中はごらんの通り、なかなかお洒落です。
バイキング形式で食事が提供されていますが、それだけではありません。
何とピザを焼くための石窯が併設されてます。ピザと麺類がメインで、一品注文するとバイキングもセットで付いてくる形式になってます。
メインの食事を注文してからそれが手元に届くまで、バイキングにて自分の食べたいものをつまみ、体を休めます。
この日はちゃんぽんをメインに注文しました。バイキングの品も含めるとなかなかのボリュームです。
食べた時で1,280円だったかと思いますが、この分量ならば納得のお値段です。
ここに来る段階でお腹もペコペコになってましたので、補給食としては抜群の効果がありましたw
腹ごしらえが済んだ後、敷地内を散策して映えスポットとして有名な恋人の聖地にて写真撮影。
時刻も13時を回り、真夏の熱気としては最高潮といったところです。
とにかく暑い……。
この環境化を走るのは、補給が済んだ後とはいえさすがに身の危険を感じます。
ということで、腹こなしも兼ねて、水俣病資料館に足を運ぶことにしました。
資料館の中に入ったのはこれが初めてかもしれません。
水俣病自体は、当然社会の授業で四大公害として学んできたことでもありますし、何より地元熊本県で発生した公害であるということからも自然と関心は持っていました。
とはいえ、全体をしっかりと把握しているわけでもありません。
そんな身空でいざ資料館に足を運んでみれば……その問題の難しさ、複雑さに頭を抱えざるを得ませんでした。
これまでは、水俣の漁師たちがチッソの垂れ流した有機水銀で被害を受けた、という一方的な見方しかできていませんでしたが……。
現実には、チッソに就職した地元の人達もまた居たわけなんですね。
しかも公害が発生する前は、チッソに就職することは「会社行きさん」として、地元の人から羨望のまなざしを向けられていたという事実……。
この業の深い構図をどう解決すればいいのか、一介の凡人である私なんかではとても咀嚼する事すら難しい問題です。
見方によっては、ウクライナとロシアの戦争、イスラエルとパレスチナの戦争にも通じる、人の業の縮図を見せつけられているようにも感じました。
余談ですが、この日家に帰った後、Netflixで映画「MINAMATA」を観てしまったほどです。
それほどの衝撃を受けるに至りました。
資料館を後にして、再び国道3号線を南下します。
程なくして県境へとやってきました。
鹿児島県出水市。鶴の越冬の場として有名な町で、冬に足を運びますと、越冬地で遠巻きに鶴を観察することができます。
マナヅルに至っては、世界の8割近くがこの地に集まるんだそうです。
そんな出水市ですが、今回は街中を本当にあてどなく動き回りまして……こんな公園を見つけるに至りました。
戦時中、海軍の航空基地がここには存在しており、終戦間際には特攻隊の出撃の場となっていたようです。
当時の戦闘機のエンジンとプロペラがそのまま展示されていました。
サイクリング時期は図らずも8月15日お盆。
水俣病に続き、過去の惨劇に思いをはせるに至りました。
出水市を散策した段階で午後4時過ぎ、さすがにこれ以上は帰りが遅くなるということでサイクリングはお開き。
出水駅から肥薩おれんじ鉄道に乗って輪行で帰ることにしました。
電車が出る寸前だったため、自転車を詰め込むのに手いっぱいで駅の写真を撮影し損ねてしまう体たらくです。
電車に乗り込み一息ついたところで壁面を見れば……肥薩おれんじ鉄道を舞台にした映画のポスターとサインが張ってありました。
主人公の義父を、國村隼が演じています。
……図らずも、この日の夜に見た映画「MINAMATA」のチッソの社長役もまた國村隼でした(;^ω^)
このあと知ったんですが、ご出身が熊本県八代市なんですね。
その縁もあってのご出演なのかなーとか思ったり思わなかったり……どちらにしてもあの鬼気迫る演技、静かな心情表現などは観ていて圧倒される、とても好きな役者さんです。
そして最後は、車窓から見える日暮れの有明海をぼんやり眺めながら、自宅のある熊本市を目指しました。