最近更新が滞っております(;^ω^)
自転車のネタ自体がちょっと先細っているというのもありますがw
さて、今回は結構長尺な記事になりますので、数回に分けてお送りしたいと思います!
今年の頭の話になりますが、数回に分けて、豊後街道を辿ってみました。
ただ一里塚跡を順番に走ってみた、というのを記事にするだけでは面白くないので、それぞれの場所の、それぞれの名所などを紹介しながら進めていくというスタイルで書いていこうと思います。(だから記事になるのに時間がかかったとも言えるわけですがw)
その中には、家族旅行などで足を運んだ際の写真なども含まれます。前もってご了承いただければと思いますw
豊後街道は、江戸時代に熊本城城主の加藤清正によって拓かれた街道で、お隣大分県大分市鶴崎(肥後熊本藩の飛び地)まで延びる、全長124kmにも及ぶ街道になります。
後に肥後細川藩が、参勤交代で江戸へ向かうために利用されていました。鶴崎まで徒歩で移動したあとは、船で一度大阪へと渡るという流れを経て江戸へ向かっていたそうです。
あくまで熊本側から見た名前なので豊後(に向かう)街道、という呼び名になっているようで、大分から見れば肥後街道……という呼称になるようです。
そんな参勤交代の出発点、豊後街道のスタート地点がこちら。
熊本城の南西側に位置し、西に熊本市子ども文化会館、東に熊本医療センター、北の柊木坂を登れば藤崎台球場に熊本博物館、北東の法華坂を登れば熊本城二の丸広場……などなど、熊本の主要な景勝地や公共施設に囲まれています。
ここを出発して東に向かうわけですが、自然と、城の西側から東側へ向かうというルートになるわけで……。これ、殿様方の出発を、町民たちが自然に見送ることが出来るロケーションになっているんですね。書いてて感嘆の声がでましたw
あとこれは余談ですが、鹿児島薩摩藩の島津家は、参勤交代時に通る薩摩街道が熊本城の敷地の中を突っ切っている関係上、細川家の監視の中を半ば強制的に通らされていた、という話があります。関ヶ原の戦いのときに西側の勢力だったということで、外様の島津を細川が監視している、という体が取られていたそうで……実際には日奈久温泉を島津に提供したりと、結構仲良かったみたいですけどw
先日、またまたサイクリングしてきました。今年はコロナ禍の影響もあり自転車に乗る機会が例年と比較すると少なく、とにかく距離が稼げていません。こりゃいかんということで、とにかく平地を走って短い時間で距離を稼ごう……と思い、まだ行ったことのなかった芦北町田浦を目的地に設定しました。平均時速30km/h以上をキープしたまま、とにかく国道3号線を南下しまくります。八代市に入り、球磨川沿いに達したところでちょいと休憩をはさみました。先の水害では、ここらへんも水面がぎりぎりまで上がってきていたのが映像からも見て取れ... 赤松トンネルを超えて ... 御立岬回遊 - う゛ぇろ☆いじり |
なんだか、道の作り一つとっても、いろんな思惑が見えてくるから面白いですね。
県道337号熊本菊陽線、地元では旧57号線と呼ぶことも多いですが、こちらの道が豊後街道そのもの、と言っても過言ではありません。
そんな旧57号線を東に進めば、程なくして一里木が姿を表します。
周りは川沿いの閑静な住宅街、といった趣ですが、近くには熊本大学がありますので、その関係上、学生さんを見かける頻度も高いです。
またモスクもありますのでその関係上、外国籍の方が家族でお散歩されてたりなど、意外に国際色豊かな土地だったりもします。
一里木最寄りの景勝地、といえば、立田山になりますでしょうか。
地方にある小高い里山と言った趣ですが、杉などの植林はあまり見当たらず、ヤエクチナシなどの原生林が残る野山となります。
遊歩道が整備されてますので、子連れでも安心してピクニックやハイキングが楽しめます。
細川家ゆかりの山となっており、細川家の菩薩寺である泰勝寺跡や、鷹狩りの際に休息を取るために建立されていた茶屋跡などが残っています。
写真は、そんな茶屋近くのトンボ池に続く小川を撮影したものになります。
続いて二里木。
旧57号線をそのまま東へと進み、龍田と呼ばれる地区の端に位置します。
実際に木が残っているという点は、特筆すべき部分かなと思いますね。
さてそんな二里木に最寄りの名所といえば……武蔵塚でしょう。
あの宮本武蔵の墓がある場所です。
晩年、宮本武蔵が肥後熊本藩に滞在し、金峰山の西側にある雲巌禅寺霊厳洞にて五輪書をしたためた、というのは有名な話です。
大変お久しぶりです。最後の更新から2ヶ月経ってしまいました。世界が新型コロナウイルスの影響で大パニックになった煽りも私自身が受けてまして、なかなか大手振って自転車に乗りに行く機会が作れておりません。地方の中小企業も生き残りに必死なもので……いかんともしがたい限りです。さて、そんなさなかではありますが、とりあえずネタにできそうな記事が一本書けそうなので投稿しようと思います。先日、久々に金峰山を走ってきました。今回は行ったことのないルートである太郎迫を目指し、結果的に金峰山山系を反時計回りに走るル... 小萩園と太郎迫 ... 金峰山の空白地帯を走る - う゛ぇろ☆いじり |
そして、お世話になった細川藩主を死してなおも護っていきたい、という本人の願いから、参勤交代で殿様達が通るであろうこの地に埋葬されることになったそうです。
いつでも出陣できるよう、甲冑に身を包んだ状態だったとか。
なんとも最後まで剣豪に恥じない生き方だな、と思わせてくれます。
さて続いて……。
二本木近くの旨いもん処をご紹介します。
それがこちら、味民です。
あけましておめでとうございます。最近更新が滞っておりまして……。何が理由かと申しますと、12月にぎっくり腰をやってしまいまして、まともに自転車に乗れなかった、というのが理由になります(;^ω^)うっかり前かがみになった状態でせき込んだのがいけなかったようで、のべ3日ほど起き上がる事すら難儀するほどのぎっくり腰になってしまいました。結構ひどかったので、会社も1日休み、整形外科にも通い治療を受けること2週間。仕事納めも済んだタイミングで「もうよかろう」と思い、通勤車で軽くリハビリライドに出かけることにしま... ぎっくり腰になっちゃいました……リハビリポタリング - う゛ぇろ☆いじり |
以前ご紹介したことがあるお店になるかと思います。
昔ながらの食堂といった趣で、とにかくボリューミーで低価格なのが魅力的なお店です。しかも日曜日は、未就学児にお子様カレーが0円でふるまわれるという破格なサービスが提供されていたりします(^ω^)
結構家族で足を運んだお店の一つで、写真は油淋鶏定食、当時630円というお手頃価格。
食べごたえもありますし、何より美味しいのがいいですね(*’ω’*)
写真見てたらまた食べに行きたくなってきましたw
はい、まずは豊後街道、二里木までのご紹介となりました。
続きはまた今度、という事で(^ω^)
さて、豊後街道を辿るサイクリング、2回目の記事となります。今回は、菊陽町界隈、三里木から四里木の間になります。三里木二里木を超え、味民を過ぎれば、お隣の菊陽町へと入ります。ほどなく進むと、三里木に到着です。三里木は、その名もズバリ豊肥本線三里木駅の敷地の中に存在します。サンリーカリーノ菊陽三里木駅のすぐ近くに、サンリーカリーノ菊陽というショッピングモールが存在します。三里木にあるからサンリー……と名付けられたみたいですね。実はここ数年でリニューアルオープンした施設で、昔はサンリー菊陽寿屋といい... 豊後街道一直線②【菊陽町編】 … 三里木~四里木 - う゛ぇろ☆いじり |
はい、豊後街道めぐり第三弾となります。今回は一気に、五里木から九里木までをご紹介したいと思います。……正直、土地勘があまりなくてご紹介できるスポットは少ないのですが、ご容赦のほどを(;^ω^)五里木四里木を過ぎた先から菊陽町のお隣、大津町に入り、旧57号線から西の山間に逸れる形で街道を進みます。住宅街の中を進むと、簀戸口跡と書かれた碑が建っていました。参勤交代時、臨時の関所が置かれた場所のようです。更にその先を進みますと……閑静な住宅街を貫く緩やかとした坂の中腹に……。五里木が姿を表しました。六里木~七里... 豊後街道一直線③【大津町~二重の峠編】 … 五里木~九里木 - う゛ぇろ☆いじり |
豊後街道を巡る旅、最後は阿蘇谷のご紹介となります。阿蘇谷とは、阿蘇五岳の北側の平野部の事を指し、豊後街道の十里木から十三里木は、まさにそこを横断する感じで走っているような格好となります。最後までお付き合いいただけますと幸いです(^ω^)十里木十里木は、内牧温泉街の真っ只中、点滅信号の交差点にあるローソンの隣に佇んでいました。心なしか、他の一里塚よりも作りが豪華です。温泉街の中にあるからでしょうか、これまでの一里塚と比較しても周りの雰囲気が全然違います。内牧温泉旅館「湯巡追荘」そんな十里木のある... 豊後街道一直線④【阿蘇谷編】 ... 十里木~十三里木 - う゛ぇろ☆いじり |